Mag-log inローブに身を包んだ男を逃してしまった苛立ちをぶつけるように、エルキュールは正面に構える大蛇魔獣――シュガールを睨みつける。
その鋭い視線に触発されたのか、緋色と黒色の鱗と紫の魔素質に彩られた体を大きく伸ばし、シュガールは大きく口を開けて威嚇した。
伸びた体はこの広い部屋の半分を占領し、開かれた口腔は人間を容易く丸呑みできるくらいに大きく見える。
正直言って、今まで戦ってきた魔獣が赤子に見えるほどの威圧感だった。
男の扱いからしても、そこらの魔獣と比べてもかなりの力を持っているのは明白である。
しかし、数の不利からかシュガールは慎重に二人の出方を窺い、攻めてくる様子は見られない。
「へっ、魔獣にしちゃあ知恵が回るみてえだが……無駄だぜ!」
対して二人には悠長にしている暇などなかった。決着を早めるために積極的に攻める必要がある。
もちろんグレンもそのことを理解しており、銃大剣を振りかぶり果敢にシュガールに飛び込んだ。「ガアッ!」
脳天を砕く勢いで振るわれた炎の剣に、シュガールはあろうことかそのまま頭突きで抵抗した。
その頭部は相当な強度を持っているようで、振るわれた剣とぶつかり合って膠着し火花を散らした。グレンの一撃は相手に効果的なダメージは与えられなかったが、全く問題はなかった。
――その両者の横を抜け、大蛇の後ろに回り込む黒い影があったから。
「――エンハンス」
シュガールの体の強度では普通に攻撃しても意味はないだろう、エルキュールは火属性魔法を武器に付与してその巨大な尾を切り落とそうと、ハルバードを薙いだ。
その斬撃は狙い通りにシュガールの尾に命中したが、傷は浅くたちまち回復されてしまう。やはり、魔獣に致命傷を与えるにはコアを狙うほかないないようだ。
エルキュールは急いでコアの位置を探そうとするが、大蛇の外面にはそれらしきものは確認できない。
「シャアァァ!」
「――っ」
傷をつけられたシュガールは怒り狂い、まるで地団駄を踏む子供のように暴れて尻尾でエルキュールに攻撃を繰り出した。地面を這うような急襲を空中に跳んで回避する。
そうして後ろの敵を振り払った大蛇は、立て続けに膠着状態にあった正面の相手を頭で押しやった。
「ちっ、イカれたパワーだな……」
シュガールの急な反撃をなんとか受け流したグレンだったが、その姿勢は崩れてしまっており、大きな隙を曝している。
その決定的な隙をみすみす逃すシュガールではなかった。
グレンを睨みつけるシュガールの体表面にある魔素質が、その紫の光をよりまぶしいものに変えた。
――魔素が力を増し光り輝くことで起こるその現象は、魔法の放出の前兆に酷似していた。
「はっ!? グレン――」
シュガールが魔法的な攻撃を繰り出そうとしていることに勘づいたエルキュールは、グレンに警告しようとした。
しかしそれよりも早く、シュガールの魔素質が湛えていた光を放出した。
次の瞬間、空中に投げ出されていたグレンの頭上に紫電の雷光が一閃し、落雷の如く降り注いだ。
「ぐああぁぁっ!」
雷撃はグレンに命中し爆発を引き起こした。煙に塗れて確認できないが相当なダメージを負ったように思えた。エルキュールは急いで彼の下に駆ける。
「シシャアッ!」
ところがグレンの下に着く直前、エルキュールの動きを阻止しようと大蛇は短く鳴き声を上げ、電気を帯びた魔素質の球体を二人の方へ目がけて幾つも放ってきた。
「邪魔をするな、――エスクード!」
シュガールの追い打ちを防ぐべく、エルキュールは土の初級魔法を放った。二人の目の前に、ほのかに黄色に光る半透明の障壁が展開される。
黄の障壁は大蛇の攻撃を全て防いだが、そのことが大蛇の気を害したのか、その攻撃は激化した。
シュガールの怒涛の攻撃はなんとか防ぎ続けているものの、攻撃の機会を失することになってしまった。「グレン、大丈夫か?」
攻撃を防ぐことに集中しているため振り返ることはできないので、エルキュールは声だけでグレンの安否を確認する。
「……ああ、かなり痛えがな。何とか防御が間に合ったぜ」
隣に並び立ったグレンを横目で見ると、赤く輝く光の粒子が彼の周辺に漂っていた。
――魔法を放出する時間はなかったはずだ。恐らく、オーラによる防御を行ったのだろう。
大気中に含まれる魔素を魔法として放つのではなく、身に纏わせる。オーラという技術は、本来は魔法の効率を高める目的として使用される。
外界に遍在する魔素を使役するよりも、自身の周辺に集めた魔素のほうが術者との親和性が高いからだ。その際に身に纏わせた魔素は、身に受ける攻撃をある程度緩和する働きもある。
基本的な技術ではあるが、咄嗟に行ったのは流石魔法士というべきだろう。「シャアァ! シシャアァ!」
攻撃が効かないことに痺れを切らしたのか、シュガールは雷撃による攻撃を中断し、こちらに突進する構えをとった。
流石にあの巨体で向かって来られたら、ここまで攻撃を防いできた障壁も破られてしまうだろう。
「――させるかよ!」
大蛇が突進する直前、グレンは銃大剣を前に突き出した。
すると剣身の術式が一瞬煌めき、備え付けられた銃砲から火球が放出され相手を怯ませた。
相手が怯んだ隙にエルキュールは障壁を解除し、グレンと共に後方に飛んで距離を離す。この位置ならば、尾を使った攻撃や突進は見切れるだろう。
しかし、その考えを嘲笑うかのように大蛇は魔素質を光らせ、雷撃による攻撃を二人に放つ。
天から降り注いだ紫電をすんでのところで回避した二人だが、その顔つきは苦しいものである。
「ちっ……魔獣のくせに一丁前に魔法使ってんじゃねえ!」
「魔法のように洗練されたものではないと思うが……確かに厄介だな」
人間でいうところの雷属性の魔法は、火と光の魔素を合わせることで初めて成立する複合属性の魔法である。
魔獣風情にそんな高等な技術があるとは信じられないが、その力は本物の魔法に迫るものだ。幸い、躱すことに注力すれば被弾することはないが、その猛攻を前に攻撃に転じることができないでいた。グレンが負ったダメージも決して小さくなく、あまり無理ができる状態ではない。
だが、泣き言を言っても時間は刻一刻と過ぎるもの。そろそろ決着に向けて動く必要がある。
エルキュールは腹を括り、グレンにある提案を持ちかける。
「グレン、しばらく君一人に奴の相手をしてもらってもいいか?」
「はあ!? お前、一体何をする気だ?」
エルキュールの無茶な要求に、迫ってきた雷の球体を切り裂きながらグレンは叫ぶ。
それも無理もないことだろう。この状況でも厳しいというのに、さらに重荷を背負うことになるのだから。そのことを申し訳なく思いながら、エルキュールは自身の考えを話す。
「今から奴を倒すための魔法を詠唱する。その間、無防備になる俺を守ってほしい」
このままシュガールの猛攻を掻い潜りながら、弱点であるコアを狙うのは時間がかかりすぎる。
それならいっそ、高火力の魔法でシュガールの肉体全てを滅ぼしてしまう方が早い。 危険はもちろんあるが、それよりも二人して攻撃の機会を失っているだけなのはいただけない。それなら一人が注意を引くことに専念し、もう一人が攻撃を行うというのが効果的だと思われる。幸いこのシュガールは気性が荒く、自身が傷つけられたりこちらが攻撃を防いだりしたときには、その体を波のように揺らし怒り狂っていた。行動を制御するのは案外容易いだろう。
一応の論理は備えているものの、冷静なエルキュールにしては珍しい性急な選択だった。
「……それで倒せる自信があるんだな? なら、答えは一つしかねえぜ!」
しかし、具体的な方法を話している暇などない。グレンはエルキュールの真剣な目を信じ、深くは聞かずにシュガールとの間合いを一気に詰めた。
「おら、遊びは終わりだぜ、蛇野郎! てめえの気持ちわりい体、オレが切り裂いてやる」
威勢のいい啖呵と共に銃大剣で切りかかるグレン。
正面からの攻撃はもちろんシュガールに致命傷を与えることもなく、またもやその頭によって防がれてしまう。
エルキュールはグレンが大蛇の注意を引いていることを確認し、ゆっくりと頭上を見上げた。
そこには、シュガールが降ってきた際に開けられた大穴がある。かなりの高度があるため、上階の様子は暗闇に閉ざされている。
こんな時に何をしているのだろうと、事情を深く知らぬものが見ればそんな感想を抱くだろう。
しかし、グレンが必死に大蛇と格闘している間も、エルキュールの目線は上階の方へ固定され動かない。
かといって、その目の動きは上階の様子を探るわけでもなかった。エルキュールの琥珀色の瞳は、ただそこにある闇を映していた。
そして徐々に、その闇に吸い込まれてゆく。
グレンが剣を振るい、火球を放出する音も、シュガールが雷を操るときの魔素質の光も、全ての刺激が暗黒の闇に弾かれてゆき、エルキュールに残ったのは闇の魔素の感覚のみだった。
「――――」
己の魔素感覚が完全に研ぎ澄まされたのを確認し、エルキュールは一つ息を吐く。それから周囲の魔素を我が物とするように、身辺に集めていく。
全ての工程を慎重に、丁寧に行う。自身の魔素質の痣とコアを反応させないように、魔人としての力を外に漏らさないように。
この状態で特級魔法を放つのは相当に無理があるが、日が暮れ始めているこの時間は闇の魔素が活性化する時間帯であるため、なんとか放出までいけるだろう。
完全に魔素を掌握したエルキュールは、詠唱する魔法文を念じる。エルキュールは普段詠唱を行わないが、今回ばかりはそうもいかない。
慣れれば詠唱を省略しても問題なく魔法を放てるが、放出の早さと引き換えにその分威力は低下するのは避けられない。
今回は詠唱しなければシュガールを倒しきれないし、何より特級魔法を無詠唱で放つほどの技術をエルキュールは持ち合わせていなかった。全ての準備が整った今、エルキュールは対象をしっかりと視界にとらえ詠唱を開始した。
「――其は闇の牢獄、有と無の狭間の混沌……」
手を前方に翳し、言葉を紡ぐ。
闇の魔素がエルキュールの手元に、渦巻くように集約し魔素質を形づくる。黒く輝く魔素の流れが軌跡を生み出し、次第に魔力が高まってゆく。「開闢と終焉の理は、万物に定められし天意なり……」
ここに至って、ようやく自身が危険な状況にあることに気づいたシュガールは、グレンへの攻撃を中断し、己が脅威を取り払うべくエルキュールの方へと突進した。
「ハッ! 背中ががら空きだぜ! ――ファイアボール!」
目の前の勝負から逃げ出した臆病者の大蛇に、グレンは火球による追い打ちをかけた。
後方からの不意打ちに、シュガールの巨大な体もよろめく。「今だ、決めちまえ!」
エルキュールの魔法に飲み込まれないよう、彼の後ろに下がったグレンが白い歯を見せて笑う。
その期待に応えるよう、エルキュールは翳していた手を下ろす。
「魍魎よ、魔の輪廻へと還れ――グラヴィタス・プレッシオ!!」
エルキュールの動きを皮切りに、それまでに構築されていた巨大な魔素質が弾け、欠片となってシュガールの方へ飛んでいった。
それは敵に命中するでもなく、高速でシュガールの周囲を軌跡を帯びて飛び回り、やがて半透明の黒き結界を形成した。
「シシャ? シシャァ!!」
魔法の威力に身構えていたシュガールは拍子抜けしたように鳴き声を上げ、二人の方へ攻撃を繰り出そうとする。
「シャ……!?」
しかし、大蛇の巨体は結界の外へ突き抜けることなく弾かれてしまった。まるでその先に進むのを世界に拒まれているかのように。
――強大な力を持つ闇魔法は、時として空間を歪めてしまうほどの威力を発揮する。
本来、闇というのは世界の裏側に存在するもの。
光に照らされる物体の背後に。人々が眠りにつく夜更けに。
その闇が、魔法として強い魔力を伴って世界の表側に顕現する。それこそが歪みを生み出す原因だと、古代の偉い学者たちは論じたらしい。
ともかく、空間を歪めることで生じた結界は、シュガールを完全に無力化した。
結界が作動したことを見届けたエルキュールは、小気味よく指を鳴らした。
それに呼応して、結界内で無数の黒球が忽然と現れる。闇の魔素質で形成されたその黒球は、次第に肥大化してゆく。
「シ……シシャ、シシャアアアァァァ――!!!」
黒球が結界内に生じた途端、シュガールが一際大きい悲鳴を上げた。
その黒球は法外な質量を備えているのが特徴で、それぞれが極めて強い引力と斥力を持つ。
結界の内にあるものはその混沌の力に曝され、延伸され、圧搾され、切り裂かれ、捻じ曲げられ、やがて全てが魔素に還る。それが、この結界に捕らわれたものの末路だ。
黒球はなおも膨張を続け、結界内の空間の全てを黒く満たす。
結界の外側からは見えないが、中は凄惨たる状況になっていることだろう。「うわ……えぐいな、こりゃ……」
エルキュールの横に並び立つグレンが、塗りつぶされる前の結界の中の大蛇の姿を垣間見たのか、苦い顔をする。
黒の結界はやがてその役割を終え、解け、跡形もなく消失した。
その場にはあの魔獣の姿はなく、円形に窪んだ地面が広がるのみである。
「うぐ……」
不意に、エルキュールが胸元を抑えその場に蹲る。
ここに至るまでに魔法を使いすぎたのもあるが、それ以上にエルキュールは、もう長らく魔素を身体に取り込んでいなかった。街で平穏に生活するため、魔素質の痣もコアも極力隠してきたが、それは人間の概念で言うと息を止めているに等しい。
それ故の倦怠感と脱力感が、怒涛のように押し寄せてきたのだ。
「おい、大丈夫か?」
グレンがこちらに肩を貸そうとするのを、エルキュールは手で制止する。
「……問題ない。少し、疲れただけだ」
「ったく、無茶するなお前も……今日出会ったばっかの野郎に命を預けるなんてよ」
「これまで共に戦ってきて、君なら十分にやってくれると思っただけだ」
「そういう訳じゃあねえんだが……」
一片の曇りもない琥珀の瞳に、グレンは呆れて嘆息する。
「それよりも、さっきの雷撃を喰らった君の方が心配されるべきだろう」
「ん? 別に大した事ねえよ、ほれ、この通り――ぐっ!?」
自身の無事を示すため腕を回すグレンの表情が、苦々しいものになる。
「はあ、仕方ないな。――クラーレ」
痛みに悶えるグレンに、水属性の治癒魔法を放つ。簡単な魔法だが、これでも十分に効果はあるだろう。
その証拠に、グレンの表情は次第に穏やかになっていった。
「ハハ、ありがとさん。……って、あまり長居できる状況じゃあなかったな」
「そうだ、早く奴を追わないと……!」
熾烈な戦いの中で意識から抜け落ちていたが、あのローブの男をまんまと逃がしてしまったのだ。そこまで時間はかかっていないと思うが、男のあの強さを思うと安心はできない。
その事実を再認識し、エルキュールは焦燥に駆られた。
「脚を使うより、ゲートで行った方がいいな……今の俺の力だと、北ヌール平原くらいまでしか行けないが……」
「あの野郎も魔法で逃げやがったからな、そうでもしねえと間に合わねえだろ」
グレンと頷きあったエルキュールは脱出のための魔法を放出する。
「頼む、間に合ってくれ……」
その祈りの言葉をも掻き消すように、二人は暗黒の穴に吸い込まれ空間を跳躍した。
エンハンスで強化されたエルキュールとジェナを見て気が高ぶったのか、それまでの冷静さを失った魔人どもは一斉に嘶いた。その叫びに呼応して、魔人を覆う魔素質と、胸に埋め込まれた深緑のコアが眩い輝きを放つ。 イブリス特有の魔素吸収の合図。その色合いから察するに、彼奴等の魔素の属性は風か草の二択であろう。複合属性である草属性の可能性は低いが、だとしても木々に囲まれた自然多いこの地では、吸収する魔素には困らないはずだ。 そうして先の小競り合いで消耗した力を充填した魔人は、三体同時にエルキュールら目がけて突っ込んだ。人間に比べて一回りも大きい体躯だがその俊敏さは決して鈍くはない。むしろ並の魔法士のそれを遥かに上回る動きで瞬く間に彼我の間にあった間合いを詰めた。「俺が右の二体を迎え撃つ。左の方は任せた」「うん……!」 エンハンスの効果によって対応する時間には余裕がある。二人は冷静に分担を定めると二手に別れて迫りくる魔人を待ち構える。 が、待ち構えるというが、魔人と直接ぶつかり合ってもリーチと火力でかなうはずもない。馬鹿正直に向かっても、先刻のエルキュールと同じ轍を踏むのは目に見えている。 特に人間であるジェナは、魔人に近づきすぎれば汚染されるリスクも被ることになる。よって、ここで採るべき方策とは自ずと数が絞られてくる。「――ダークレイピア」「――ストラール!」 中でも二人が選んだのは魔法による中距離戦。魔人の豪腕による攻撃を見切れる最低限の距離、上級魔法や特級魔法を詠唱する余裕はないものの、この距離ならば魔人の注意を引きつつ受け手に回りながら攻撃が可能だ。 エルキュールとジェナ。左右それぞれから放たれた黒の剣と白き光線が魔人の強靭な肉体を貫く。身体が損傷を受け苦しみに喘ぐが、魔物の持つ驚異的な再生力によって見る見るうちに傷が治癒していく。 案の定といったところだ。中級魔法程度の火力では魔人の肉体の一部を瞬間的に消し去ることしかできない。ましてや弱点のコアを狙ったわけでもないのだ。 勝負を決めるにはコアを破壊するほかないのだが、やはり敵は三体いるという事実が厄
カイル捜索のためにアルトニーの北に位置する森林に赴いたエルキュールは、魔獣の群れに囲まれる彼と話に聞いていた魔術師の少女と遭遇した。 共に駆け付けたグレンのおかげで魔獣を撃退することには成功したのだが、追い打ちをかけるように現れたのは三体の魔人。いずれも魔術師の少女に随行していた騎士の成れの果てだと思われる。 エルキュールにとっては二度目となる魔人との邂逅。あの時はオリジナルとなった人間のこともあって動揺してしまったが、今回は不覚を取るわけにはいかない。「アアァァァ!」 エルキュールの目の前、三体の魔人は威嚇するように雄叫びをあげた。どうやら先ほど受けた風魔法による怒りがまだ尾を引いているようだ。 相対しているだけでその力の強大さが伝わってくる。全力ならいざ知らず、魔人としての力を封印している今のエルキュールでは少々厳しい相手だろう。 だが、それは一人である場合でのこと。今のエルキュールにはグレンに代わる頼もしい協力者がいるのだ。「魔法の詠唱をするのなら、少し離れた方がいい。あれの攻撃は中々激しそうだからな」「分かった、気をつけてね!」 後方で構えていた少女に指示を飛ばす。魔術師である少女は魔法を主体とした戦法を得意とし、近接で戦うには向いてない。 しかしその反面、魔術師は魔法を操ることに関してはこの上ない才能を持っている。魔法の威力だけでいえば、恐らく今のエルキュールのものより何倍も強力だろう。 だがその強大な魔法を最大限に有効活用するには、詠唱を省略しない完全詠唱で魔法を放出する必要がある。 もちろんその間には無防備な時間が生じる。エルキュールが補助しなければ、少女は詠唱を終えることなく無残に殺されてしまうだろう。 加えて相手が魔人であるなら話はそれだけに留まらない。万が一にも少女が汚染されるようなことがあれば、リーベにとってこの上ない損害となるだろう。 魔術師になるほど優れた才を持っている人間が魔人と化せば、それによって誕生する魔人の力は絶大であろう。 何としてもそれだけは避けなくてはなるまい。「――エンハンス」
エルキュールと少女が魔人との戦闘を開始したころ、一方のグレンはその肩にカイルを担ぎ、来た道を急いで引き返していた。 すんでのところで魔獣に襲われていたカイルを救出することに成功したグレンらだったが、運が悪いことに魔人までこの件に噛んでいたのだ。 一般的に魔人は魔獣に比べ知能が高く、その力も強大である。そんな危険極まりない存在との戦闘に、カイルを巻き込むわけには行かなかった。 故にグレンは一刻も早くカイルを連れこの森から離れる必要があった。 それには一秒たりとも無駄にはできない。カイルは一人でこの森に入ったようだったが、起伏のあるこの地形は子供の足で進むには時間がかかる。 ならば多少無理やりにでもカイルを担いでグレン一人の足でさっさと脱出してしまうのが得策ではある。 そうした判断の下、グレンはここまで一心不乱に駆けてきたのだが――「おい、はなせって、もう! いたいんだって、このツンツン頭!」「うるせぇ、ってかツンツンじゃねえ、グレンだ」 それまで沈黙を貫いていたグレンの口から遂に不平の声が上がる。 だがそれも無理からぬことであろう。他人の髪型に対する失礼な物言いもそうだが、先ほどからグレンの肩の上でカイルが暴れるのをやめないのだ。 加えてカイルが手足を動かすたび、グレンの腹やら頭やらにぶつかるものだから、今となってはその打たれた部分に鈍い痛みが走っていた。 こちらは助けに来た側だというのにあまりの仕打ちだった。グレンは打ち付けられた痛みと理不尽さから生じる苛立ちに顔を歪ませた。「ちっとは静かにしろよ。街に着いたらお望み通り放してやるからよ」「それじゃあダメなんだ! このままじゃジェナお姉ちゃんが――」「またそれかよ……ったく」 一向に抵抗を止めないカイルに嘆息する。どうやら魔術師の少女が危険に曝されている現状に我慢ならないようだった。 そういえばカイルはずっと魔術師の名前を口にしていたが、ここにきてようやくグレンはその理由に思い当たった。 クラーク夫妻の話では子供た
魔獣に囲まれていたカイルと魔術師の少女に加勢したエルキュールらの前に現れたのは、人型イブリス――魔人と称される生命体だった。その数は三体であり、それぞれの体表面には深緑の魔素質が浮き出ていた。「なんでこんなとこに魔人がいるんだよ!」 グレンの悲鳴は当然のことで、魔人というのは魔獣に比べて数も少なく、通常ならほとんど遭遇することもない。 その理由には魔人の発生過程が関係している。リーベである人間が魔物による汚染されることで、人間が魔人へと変貌する。現存する魔人はおおよそ汚染によって生まれているため、一般論で考えればここにいる魔人にも元になった人間――オリジナルがいるはずである。 しかし、こんな森の奥にそんな人間がいるものだろうか――「……まさか」「うん、多分……あなたの思った通りだよ」 エルキュールの中に生まれた確信は、その傍らに構えている魔術師の言葉によって裏付けられた。 現れた魔人に共通している要素として、身体の大きさ、魔素質の属性はもちろん、身体に付着している特徴的な金属片があった。 魔人には金属を纏う特徴などない。つまりあの金属片は魔人としての特徴ではなく、人間だったころの特徴であると解釈するべきなのだ。 そして、あの銀色の輝きはエルキュールの目にも新しく、ここのアルトニーの騎士隊が身につけていた甲冑のものと酷似していた。 そこまで考えたところでエルキュールは自身の益体のない想像を止めた。これ以上考察を並べても不快になるだけなのは明らかだった。どちらにせよ、これから為すべきことは決まっている。 エルキュールは手にしていたハルバードを前に構えた。幾度となく魔獣を、同朋を屠ってきた得物である。この武器で今回も同じように斬ってやればいいだけだ。 刃を向けられた魔人はおぞましい雄叫びをあげた。それに伴って辺りに魔力が迸る。オリジナルとなった人間が騎士であることから、その戦闘力は比較的高いと思われる。流石にカイルを守りながらでは厳しいだろう。「……魔人どもは俺が食い止める。二人はカイルを守りながら魔獣に対処してくれ」「え……?
グレン・ブラッドフォード――カーティス隊長が呼んだその名前をエルキュールは胸中で反芻する。グレンの苗字を尋ねることはなかったため、今になって初めてグレンのフルネームを知ったからというのもある。 が、そのこと以上にエルキュールが気になったのは、グレンがその名を冠しているという事実であった。 ブラッドフォード。先ほどの会話でもあったブラッドフォード騎士裁判所は現ブラッドフォード家当主のヴォルフガング氏の提案で設立された国家機関であり、同氏が裁判長を勤めているというのは広く知れ渡っていることだ。 もちろんそれも大層なものだが、ブラッドフォード家といえばオルレーヌ建国時から大きな力を持っている武家の一つとしても有名だ。その歴代当主は紅炎騎士の称号で呼ばれ、この国の防衛や政治にも携わっている。 養子とはいえ、今まで旅をしてきた連れがそんな大家に連なるものだと知れば、多少驚くのも無理はないことだった。「……ったく、名乗るつもりなんかなかったのによ」 思わぬところで自身のことを明るみに出され、グレンは煩わしそうに呻いた。「あなたがあの家に対してどのような思いを持っておられるかはさておき、この場は是非ともお力をお借りしたいものですねぇ」 グレンの態度を前に、カーティス隊長はその年に相応な柔和な笑みを浮かべた。申し訳なさそうな表情ではあったが、その声は相変わらず強い意志のようなものが混じっており、その年でここの騎士を任せられているのも納得の胆力を感じさせた。「それは分かってる。ま、一応オレが仲介すれば楽に手続きできるとは思うぜ」「ええ、感謝しますよ、グレン卿」 その会話から察するに、グレンの協力によってこのジェイクを正しく裁くように計らうようだ。当の本人はようやくその事実を認識したのか、その顔には絶望の色が広がった。「な……嘘だろ? 待ってくれ、違うんだ、俺は――」「いいえ? 何も違うことなどありませんよ、ジェイク。少なくともあなたが虚偽の理由で任務を放棄しようとした事実は、私を含めたこの場の証言だけでも証明できるでしょうし……そちらのご家族の件の詳細によってはより罪は重くなるや
ヌールからの旅人であることから、アルトニーの騎士詰所を訪ねるよう申し出を受けたエルキュールとグレン。その言葉の通りに赴いた二人だったが、そこで待ち受けていたのはある男の悲痛な叫びであった。 男の放った言葉に、グレンとエルキュールの顔も険しいものに変わった。 ――このままでは息子が……カイルが魔獣に殺されてしまうかもしれないのです……! 魔獣に殺される。あまりにも物騒なその言葉に、それまで入口の方で様子を見守っていたエルキュールも、男たちがいる詰所内の隅の方へ向かう。「それはどういう意味ですか?」 エルキュールが突如として会話に入ってきたことに多少驚いた素振りを見せたが、男は絞りだすように詳しい経緯を語り始めた。 男の名はリチャード・クラーク、傍らにいる女性と少女はそれぞれ彼の妻と娘であり、ここから西にあるガレアで農業を営んでいるらしい。 ここアルトニーへはニースで催されている大市に参加するために一時的に滞在しており、本来ならば一昨日の三日にはヌールへと向かっていたはずだった。「あなた方もご存じかもしれませんがその日は魔獣が大量発生しており、一般人の通行が制限されていたのです」 あの日のことについてはエルキュールもよく知っていた。ヌール・ガレア方面での魔獣の大量発生、当日の該当区間の通行には魔法士などの専門職の同行が必須だったのだ。「まあ、制限の方は然程問題ではなかったのですけどね……本当にあの魔術師さんには頭が上がりません」「魔術師だ? そんなお偉いさんがこの街にいたのかよ」 魔術師という単語にグレンは大仰に反応した。魔法士の上位職である魔術師は数も限られており、優れた魔法技術を持つことから国からも重宝されている。 一介の農商が雇うというのは少し珍しく、エルキュールも意外そうな目で相槌を打った。「いえ、雇ったというより彼女の目的のついでに、といった話でしたが……ともかくこれで何の憂いもなくニースへ、そう思っていたのに」







